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  Le Vin Nature フランス自然派ワインニュース  (5/5 2007)
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前回のステファン・ドゥルノンクールに続いて、アルザスの自然派ワインの
作り手Domaine Pierre FrickのJean-Pierre Frick氏の二酸化硫黄や二酸化
硫黄無しのワインに関する考察をお送りします。
私にとってはかなり難しいフランス語であり、おかしな日本語となってしまった
箇所が多々ありますが、お許しください。(T.S.)

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LES VINS VINIFIES SANS SOUFRE : DES VINS DE COMPLICITE
二酸化硫黄無しのワイン醸造:“暗黙の了解”のワイン

Jean-Pierre Frick(Domaine Pierre Frick / Alsace)26/04/2006
ジャン−ピエール・フリック(ドメーヌピエール・フリック/アルザス)2006年4月26日

ワインの中の過度な二酸化硫黄は厄介なことだが、二酸化硫黄を悪魔視しても
意味が無い。この数世紀に渡るワインの伴侶は、愛飲家の最高の喜びのために、
ワイン生産の肝心の部分を常に救ってきた。二酸化硫黄無しのワイン醸造への
興味は、ブドウ栽培・ワイン醸造家とワイン愛好家の視野を広げることにある。
この研究は、体系化された基準の超越へと、この2者を招く。

ブドウ栽培・ワイン醸造家にとって、この選択肢は難解なものだ。瓶詰め前から
すでに酸化の性質があると、ブドウ品種や土壌、その年に関係した特色の全ての
輝きを奪うかもしれない。

醗酵を3、4週間で完全に終える二酸化硫黄無しのワインは、空気に触れる
ことなく最終的に澱引きすることができる。糖分を残したまま12月に醗酵を
やめる二酸化硫黄無しの他のワインは、澱引きされず、冬の間ずっと澱の上に留まる。
そして春に、醗酵は自然に再開し、全て、もしくは一部の糖分を摂取する。
細かい澱や完璧な澱の上に空気から免れて醸造されたこれらのワインは、
瓶詰め前に3〜4時間セルロースの板の上で濾過される。

空気に触れない澱引きにより、これらのワインは微発泡となる。ワインは、
常にアルコール醗酵とマロラクティック醗酵により発生する二酸化炭素(CO2)を
維持する。これらのワインは15度以上の場所に移動したり保管したりしないことを
推奨する。満タンでしっかり閉じた瓶に入っていれば、数年間保存できる。

≪ Vin Biologique ≫という記載がこれらのワインについているとき、ワインは
一切の添加物も加えられておらず、純粋なブドウ果汁が醗酵されたものでなければならない。

ワイン愛好家にとって、新しい感覚領域の発見は、視覚や嗅覚、味覚に没頭するために
感情を無視する方法を知るのと同じくらい大きいことだろう。まず初めに、
感覚と感情の出会いに完全に集中するために、習慣的な基準点を除外しなければならない。

全く添加物を加えていないこれらのワインは、より生き生きしていて、より流動的で、
より危うい。これらのワインは、<暗黙の了解>を義務付ける。グラスの中で
香りの調子の変化は分刻みで起こり続ける。グラスのちょっとした動きが、
二酸化炭素を発散し、香りと微発泡を伴う味覚を変化させる。理想は、時間を
かけてこれらのワインを味わい、翌日には瓶の中に一滴も残さないことだ。

私達は、貴方たちを嗅覚と味覚における、とても面白い探検に招待する!

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LES VINIFICATIONS SANS SOUFRE CREENT DES VINS D'EXPLORATION SENSORIELLE
二酸化硫黄無しの醸造は 感覚器探求用のワインを作る

有効性と成果を評価するために、西洋文明はたくさんの規格を作った。技術産業と
機械産業に必須な規格は、私たちの世界の特異性に有用であるためにあくせく
働いている。食料産業における衛生を保証するために必要な規格が、常識を欠いた
純粋なるテクノクラートの表現であるとき、この規格は食物の多様性と単一性を
脅かすことになる。

チーズ製造者やパン屋、小売農業生産品の憂慮すべき貧弱化は、この倒錯の結果だ。
味の特異性や驚きや発見を可能にする領域を守って消費者を失望から保護することは、
「原産地統制名称」の挑戦だ。

認可のための分析と特にそのための試飲・試食、同様に消費者グループの試食・試飲は、
生産物の適合性、優位性もしくは排除すべきかどうかを検証する。感覚器や精神、
感情の体験の収束無いと、試飲・試食はその場の支配的な価値や規範をのがれられない。

例えば視覚の基準を例に取り上げよう。産業生産品として作られたパイ皮包みのパテ
(豚肉と牛肉)は、硝酸塩の添加によって、人工的なきれいなピンク色を保つ。
ある職人たちはこの方法を否定し、灰色のパイ皮包みのパテを作る。同じような風味を持つが、
硝酸塩で組織は変えられていない。一方で、私達の集団的無意識は、全粒パンを
経済難の時代のものとたとえる。しょっちゅう味気の無い白パンが選ばれている。
そして、どれくらいの人が、合成着色料で緑に色付けされたミントシロップを、
同じくらい味覚はあるが半透明の家族的生産品より好んでいるだろう?

大多数により採決された選択が、信用を確かにし、信用を与える。未知のものと
変わったものは、懐疑心、またはさらに拒否を引き起こす。よく知られた色や香り、
風味は<最高>かもしれない。それは消費者を安心させるから。

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有機農法から作られたワインは、多様性の表現のためにより広い領域を切り開く。
添加物に頼らない、もしくはほとんど頼らない醸造が、この多元的な領域を拡大する。
二酸化硫黄はもっとも良く知られた添加物だ。ワインの中に完全に二酸化硫黄が
無いことは、重要な感覚器に衝撃を与える。
<二酸化硫黄無しで醸造>されたワインは、果汁にも熟成中にも、瓶詰め時にも
まったく二酸化硫黄の添加を受けない。私達の年間25種類あるワインの中で、
3〜4種類だけが二酸化硫黄無しで醸造される。
そのようなワイン、特に白ワインの匂いを嗅ぐと、<酸化>という単語や
<ジュラワイン>という単語が頭に浮かぶ。これらのワインは、確かに酸化の趣を
放つ。酸化と還元が2つの概念だ。頻繁に私達の精神は、この技術的な基礎知識に
ひっかかり、感覚的な認識に戻ってはこない。

酸化の動向は流動的である。酸化は、独特の色調をもたらす。黄色から、金色、
オレンジ、そして琥珀色に至るまで。嗅覚における認識は、脈絡がすぐに明らかに
ならない時、驚きである。驚いて、私はあたかも綱渡り芸人のようになる。
受容側と拒否側の間で揺れ動く。

続いて、再びグラスの上に鼻を近づけると、りんごとクルミの香りの思い出が
私の記憶から思い浮かんでくる。私の祖母は、廊下に沿って小さな籠の中に
それらを並べていた。別のワインは、残糖の存在により、アスペルールの香り、
またはミラベルのコンポートを思い起こす。熟した果物の風味やミネラル感さえもが、
キャラメルや菩提樹のヴェールから貫きでてくる。これらは、特に、
二酸化硫黄無しで醸造された白ワインの中に頻繁にある。
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ちょっと懐古的な注目が、二酸化硫黄の利用方法の一面を明らかにする。
現在流通している水(Pfaffenheim−1923年)と噴出が到来する前、水差しの水に
よる大樽の掃除は、表面的な衛生を可能にするだけで、二酸化硫黄で取り繕っていた。
二酸化硫黄はなかでも、樽の中の若いワインが酢になるのを防いだ。年を経て
新参の添加物が訪れた。それらは、過度の収穫と気候の影響を修正し、緩和した。

その後、瓶詰め前の感覚印象受容性(organoleptique)の安定化という概念が現れた。
清澄、濾過そして二酸化硫黄の添加によるワインの安定化は、ブドウ栽培・
ワイン醸造者と同様に消費者を安心させ、保護する。

二酸化硫黄無しに醸造されたワインは、安定しておらず流動的だ。一度コルクを抜くと、
すばやく進化、変化する。知覚は、開栓後5分、10分、1時間で異なる。
その解釈は、各試飲者の含意や傾向により異なる。これは、常にテーブルの周りで
行われる試飲の総括を容易にはしない。各々によって目印と新しい参照が認識され、
記憶された後、意見交換は熱心なものとなる。探求は、ワイン愛飲家がよく
知られた参照を考慮にいれない状態に達すれば達するほど、豊かなものになるだろう。

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2004年の夏の間、スイス・バーゼルの側のRiehenでBeyeler財団は、スペインの、
Miroの絵画と独自の関係を織り上げた。これらの作品の形と色は安定化されていて、
異なる来訪者のそれぞれの評価のやり取りは容易にされる。全ての来訪者は、
Calderのモビール(1930年,米国の彫刻家カルダーが創始した,風で動く彫刻作品)
の不変の構造と建築との個人的な関係を分かち合うことができる。

反対に、モビールの動きによりやむことなく生まれる常に新規の形状と構成の認識は、
2人の間で決して同じではなかった。会場にいる数多くの来訪者はモビールの動き
とその影に影響を与えた。壁上での絶え間ない変貌だ。このように、Calderの
モービルは個々の体験を強化し、効果を増大する。

二酸化硫黄無しのワインの流動性は、この芸術の経験との類似性を示す。感覚器と
感情の体験は、試飲がより個人的なもので、より変化しやすい時に
(Calderのモビールのように)、現れる。繰り返すが、これは、常にテーブルの
周りで行われる試飲の総括を容易にはしない。各々によって目印と新しい参照が
認識され、記憶された後、意見交換は熱心なものとなる。

Jean-Pierre Frick
26/04/2006